近況報告、二次加工品の展示など
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本当はこの部分だけだったのに、なぜか冒頭部分が長くなって独立したんですよね……。
一騎と総士と甲洋です。
一騎と総士と甲洋です。
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太陽は端っこの部分だけが残り、かすかな煌きだけ投げかけて、境界へと沈んでいく。
島の高台の上にある学校からは、海と空の境目へ消えて行くそれがよく見えた。
暗い廊下に、一年生の教室から漏れる明かりだけが眩しい。
明かりがともる教室と、そこから漏れてくる笑い声は、闇に沈んでいく廊下を歩く自分とは、全く関係なく存在している。
こういう光景をどこかで見たことがあるなと、一騎は思った。
暗く冷たい海を泳ぎ続ける。
時々見るのだ、そういう夢を。
明かりに惹かれて岸辺に辿り着いても、どこにも自分の居場所はない。
友達、恋人、家族――どの輪にも混ざれずに、またすごすごと海へ引き返していく。
今目にしているそれは、夢の光景に酷く類似していた。
けれど、絶望感や疎外感はない。
ここは学校で、自分はさっきまで衛たちと一緒にいて、九月の空気は海のそれよりも格段に暖かかった。
泳ぎ着かれて、手足がかじかんで痺れて、けれどどこにも辿り着けずに溺れていくことなど、絶対にありはしない。
それがわかっているだけでも、ずいぶんと安心だった。
一年の教室の前を横切り、自分たちの教室へと辿り着く。
電気はすでに落ちていた。
体育館にいた自分たちもとっくに解散してしまったし、それも当然かと思う。
廊下側の端から二列目、前から三番目が一騎の席だ。
その場所に目を遣ってから、教室の中にいるのが自分だけではなかったことに気付く。
一騎の席の二つ前。
端から二列目、一番前の席――、そうそこは皆城総士の席だった。
一騎の動きが止まる。
呼吸の音、身じろぎ一つで、場が崩れてしまうかのような錯覚を受ける。
心臓が早鐘のようだった。
目が合ったらその瞬間に、きっと自分は死んでしまっていただろう。
すぐさま逃げ出したいという気持ちと、一度彼を置いて逃げてしまったという罪悪感が同居する。
だからもう、自分は彼の前から逃げられない。
意を決して、そっと近づく。
彼は机の上に臥せって、眠っていた。
その下に広げられたプリント類から、転寝であることがわかる。
彼は通常、こういう無防備な姿を人前に晒すことはしない。
よく見えない左目のことすら、気遣われるのが嫌いな人間なのだ。
一騎は震えそうになる手を叱咤しながら、総士の顔にかかる髪を払いのけた。
左目に走る一筋の傷跡。
そっと触れると、かすかに肉が盛り上がっているのがわかる。
寡黙ではあったが、健康的で多少危険な場所でも平気で探検に行っていた一騎には、あちこちに小さい頃に付けた傷がまだ残っていた。
あんなふうに一生、もう消えることはないのだろうか。
総士と正面から目を合わせることを避けてきた一騎がこの傷を、こんな至近距離から確認したのは今日が初めてだった。
――あなたはそこにいますか。
頭をぐるぐると、そんなフレーズが巡る。
大事なことなのに、思い出せない。
幼い総士の笑顔。
木の枝を振り上げて、抉った肉の感触だけが妙に鮮やかだった。
抑えていた右手の震えが蘇ってくる。
誰も責めないから、総士が責めないから、「どうかしたの」と問う真矢に、自分は全てを吐き出して懺悔した。
彼女は「一騎君は何も悪くないよ」と言ったけれど、子供同士の遊びのうちに起きた事故だとは、当事者である一騎自身、どうしても思えなかった。
ちゃんばらごっこならいくらでもしたが、穏やかに微笑む総士に向けて一方的に凶器をかざすなど、正気の沙汰ではない。
自分は知らず知らずのうちに、彼を憎んでいたのだろうか。
そして都合のいいように、その事実を忘れ去ってしまったのだろうか。
――あなたはそこにいますか。
ずっと昔、総士を傷つけるよりも昔に、ラジオから同じ台詞を投げかけられたことがある。
修理したラジオが拾った音、無機質な、それでいて歌うような声だった。
あの日、逃げて忘れてしまったから、総士を傷つけた自分はここにはいない。
逃げずにいれば、何か変わっていたのだろうか。
総士は自分の忘れたその真実を、憶えているのかもしれない。
自分の手のひらを、ただ呆然と見つめていたが、眠っている総士が目を覚まし、今にもそれを語りだすのではないかと思うと、急に恐ろしくなった。
自分の机から辞書を取り出し、教室から駆け出す。
「一騎!?」
「……っ、甲洋?」
階段を上がってすぐの曲がり角から出てきた甲洋と、思わずぶつかりそうになる。
「どうしたんだ? そんなに急いで」
「明日当たってたのに辞書忘れてたこと、帰り際になって思い出したんだ」
言い訳の内容と一騎の様子がいまいち一致しないことに、甲洋は気付いていたようだが、突っ込んで訊いてきたりはしなかった。
「みんなもう帰ったあとだった?」
「……いや、総士が……、寝てたみたいだった」
彼の名前を載せるだけで、舌が痺れるようだった。
「やっぱり、今日は疲れてたみたいだからね。仕事終わってないんだったら、また手伝ってから帰ろうと思ってたんだけど、起こしてさっさと帰った方がいいみたいだ」
「そっか、甲洋もあまり無理するなよ」
「わかってる。助けに行って逆に溺れてたら世話ないからね。ほどほどにするよ」
甲洋の背中を見送る。
下駄箱から外に出て空を見上げると、曇りでもないのに月の姿が見えない。
暗い校庭を一気に駆け抜ける。
早くこの場所からいなくなりたい。
その思いに急かされるように、家へ急ぐ。
心臓が焼きつきそうだった。
「総士、起きて」
甲洋が総士の肩を揺らす。
生徒会室だと職員室に近いため、余計な仕事を押し付けられる可能性が高いと、総士は自分の処理しなければならないものだけ持って、教室に避難してきていた。
甲洋はそれを手伝ってから、放課後の練習に参加したわけだが、教室で活動していた転じ班の中には、解散時になっても総士を起こすだけの強者はいなかったらしい。
「甲洋か……、僕たちだけ? 一体今何時なんだ?」
「七時近いかな。……さっきまで一騎もいたけど、もう帰ったよ」
「……そうか」
「僕たちももう、帰ろう」
一騎が走った校庭を、総士は甲洋と並びながら歩き、小さく星が瞬くだけの空を見上げた。
気象情報を思い出す。
月齢はゼロ、今夜は新月だった。
満ち欠けを何度も周期的に繰り返す月は、その現象自体にもはや何の意味もない。
それなのに、今日が始まりなのだ。
新しく生まれて満ちていく月。
確かに存在するのに、その姿は空のどこにも見えなかった。
太陽は端っこの部分だけが残り、かすかな煌きだけ投げかけて、境界へと沈んでいく。
島の高台の上にある学校からは、海と空の境目へ消えて行くそれがよく見えた。
暗い廊下に、一年生の教室から漏れる明かりだけが眩しい。
明かりがともる教室と、そこから漏れてくる笑い声は、闇に沈んでいく廊下を歩く自分とは、全く関係なく存在している。
こういう光景をどこかで見たことがあるなと、一騎は思った。
暗く冷たい海を泳ぎ続ける。
時々見るのだ、そういう夢を。
明かりに惹かれて岸辺に辿り着いても、どこにも自分の居場所はない。
友達、恋人、家族――どの輪にも混ざれずに、またすごすごと海へ引き返していく。
今目にしているそれは、夢の光景に酷く類似していた。
けれど、絶望感や疎外感はない。
ここは学校で、自分はさっきまで衛たちと一緒にいて、九月の空気は海のそれよりも格段に暖かかった。
泳ぎ着かれて、手足がかじかんで痺れて、けれどどこにも辿り着けずに溺れていくことなど、絶対にありはしない。
それがわかっているだけでも、ずいぶんと安心だった。
一年の教室の前を横切り、自分たちの教室へと辿り着く。
電気はすでに落ちていた。
体育館にいた自分たちもとっくに解散してしまったし、それも当然かと思う。
廊下側の端から二列目、前から三番目が一騎の席だ。
その場所に目を遣ってから、教室の中にいるのが自分だけではなかったことに気付く。
一騎の席の二つ前。
端から二列目、一番前の席――、そうそこは皆城総士の席だった。
一騎の動きが止まる。
呼吸の音、身じろぎ一つで、場が崩れてしまうかのような錯覚を受ける。
心臓が早鐘のようだった。
目が合ったらその瞬間に、きっと自分は死んでしまっていただろう。
すぐさま逃げ出したいという気持ちと、一度彼を置いて逃げてしまったという罪悪感が同居する。
だからもう、自分は彼の前から逃げられない。
意を決して、そっと近づく。
彼は机の上に臥せって、眠っていた。
その下に広げられたプリント類から、転寝であることがわかる。
彼は通常、こういう無防備な姿を人前に晒すことはしない。
よく見えない左目のことすら、気遣われるのが嫌いな人間なのだ。
一騎は震えそうになる手を叱咤しながら、総士の顔にかかる髪を払いのけた。
左目に走る一筋の傷跡。
そっと触れると、かすかに肉が盛り上がっているのがわかる。
寡黙ではあったが、健康的で多少危険な場所でも平気で探検に行っていた一騎には、あちこちに小さい頃に付けた傷がまだ残っていた。
あんなふうに一生、もう消えることはないのだろうか。
総士と正面から目を合わせることを避けてきた一騎がこの傷を、こんな至近距離から確認したのは今日が初めてだった。
――あなたはそこにいますか。
頭をぐるぐると、そんなフレーズが巡る。
大事なことなのに、思い出せない。
幼い総士の笑顔。
木の枝を振り上げて、抉った肉の感触だけが妙に鮮やかだった。
抑えていた右手の震えが蘇ってくる。
誰も責めないから、総士が責めないから、「どうかしたの」と問う真矢に、自分は全てを吐き出して懺悔した。
彼女は「一騎君は何も悪くないよ」と言ったけれど、子供同士の遊びのうちに起きた事故だとは、当事者である一騎自身、どうしても思えなかった。
ちゃんばらごっこならいくらでもしたが、穏やかに微笑む総士に向けて一方的に凶器をかざすなど、正気の沙汰ではない。
自分は知らず知らずのうちに、彼を憎んでいたのだろうか。
そして都合のいいように、その事実を忘れ去ってしまったのだろうか。
――あなたはそこにいますか。
ずっと昔、総士を傷つけるよりも昔に、ラジオから同じ台詞を投げかけられたことがある。
修理したラジオが拾った音、無機質な、それでいて歌うような声だった。
あの日、逃げて忘れてしまったから、総士を傷つけた自分はここにはいない。
逃げずにいれば、何か変わっていたのだろうか。
総士は自分の忘れたその真実を、憶えているのかもしれない。
自分の手のひらを、ただ呆然と見つめていたが、眠っている総士が目を覚まし、今にもそれを語りだすのではないかと思うと、急に恐ろしくなった。
自分の机から辞書を取り出し、教室から駆け出す。
「一騎!?」
「……っ、甲洋?」
階段を上がってすぐの曲がり角から出てきた甲洋と、思わずぶつかりそうになる。
「どうしたんだ? そんなに急いで」
「明日当たってたのに辞書忘れてたこと、帰り際になって思い出したんだ」
言い訳の内容と一騎の様子がいまいち一致しないことに、甲洋は気付いていたようだが、突っ込んで訊いてきたりはしなかった。
「みんなもう帰ったあとだった?」
「……いや、総士が……、寝てたみたいだった」
彼の名前を載せるだけで、舌が痺れるようだった。
「やっぱり、今日は疲れてたみたいだからね。仕事終わってないんだったら、また手伝ってから帰ろうと思ってたんだけど、起こしてさっさと帰った方がいいみたいだ」
「そっか、甲洋もあまり無理するなよ」
「わかってる。助けに行って逆に溺れてたら世話ないからね。ほどほどにするよ」
甲洋の背中を見送る。
下駄箱から外に出て空を見上げると、曇りでもないのに月の姿が見えない。
暗い校庭を一気に駆け抜ける。
早くこの場所からいなくなりたい。
その思いに急かされるように、家へ急ぐ。
心臓が焼きつきそうだった。
「総士、起きて」
甲洋が総士の肩を揺らす。
生徒会室だと職員室に近いため、余計な仕事を押し付けられる可能性が高いと、総士は自分の処理しなければならないものだけ持って、教室に避難してきていた。
甲洋はそれを手伝ってから、放課後の練習に参加したわけだが、教室で活動していた転じ班の中には、解散時になっても総士を起こすだけの強者はいなかったらしい。
「甲洋か……、僕たちだけ? 一体今何時なんだ?」
「七時近いかな。……さっきまで一騎もいたけど、もう帰ったよ」
「……そうか」
「僕たちももう、帰ろう」
一騎が走った校庭を、総士は甲洋と並びながら歩き、小さく星が瞬くだけの空を見上げた。
気象情報を思い出す。
月齢はゼロ、今夜は新月だった。
満ち欠けを何度も周期的に繰り返す月は、その現象自体にもはや何の意味もない。
それなのに、今日が始まりなのだ。
新しく生まれて満ちていく月。
確かに存在するのに、その姿は空のどこにも見えなかった。
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